胎児ドック
なぜ胎児ドックを?
どうやって探した?
胎児診断によって妊娠中に赤ちゃんの病気がわかった場合もショックを受けることには変わりがありませんが、たいていは時間の経過とともに事実を受け止め、生まれてからのことを前向きに考えられるようになります。病気によっては、胎児治療といって、おなかのなかにいる間に治療して治せる病気もありますし、生まれた直後から治療をスタートさせることで、良好な予後が期待できる病気もあります。
自分の中になんとなくあった出生前診断への後ろめたさや不安が、
「先に知って次に動いてあげるために、今受けよう」という気持ちに変わりました。
東京マザーズクリニックでの検査
越谷レイクタウンmoriへ
目的
子連れに優しいつくり
トイレ
授乳室
フードコートりーむーです
カメラ
反省と次回への抱負
社会から切り離される感覚
2か月になりました
水ぼうそう事件も乗り越え、2か月を迎えました。
成長データ
体重5.8キロ。(自宅調べ。)
重い。ビョルンベビーキャリアだと肩が外れそうになる。
発育曲線の上限に近い。
身長は測定不可。しかし伸びてる気がする。
できるようになったこと
物を握らせたら多少は保持できる。
うつ伏せになり、腰を支えたら首を持ち上げる。
よく笑う。
目で追いかける(追視)。これによりメリーで一人遊びできるように。
父母と目を合わせる。
クーイングのバリエーションが増える。(あー、うー、あおうー、など)
オウム返ししてやると非常に喜ぶ。
指チュパからげんこつなめなめに移行。
ひとこと
もう新生児用抱っこひもでの移動は限界・・・
とはいえ、まだ首が据わらないのでエルゴなどは買えない。ぐぬぬ。
水ぼうそう事件
6/19
1か月検診も無事にクリアしたころ、私は乳児湿疹に悩んでいた。
清潔にしていれば治まるらしい、けどと思い、小児科へ。
やっぱり乳児湿疹だと診断され、よわーい塗り薬を貰う。
6/20
・・・なんか体中に広がっているような?
母乳によるアレルギーかしら。(好き勝手になんでも食べていた)
それともハウスダスト的なアレ?
今度は皮膚科に行ってみよう
6/21
結構待って皮膚科へ。優しそうなおじーちゃん先生だった。
一目見て「これは、水ぼうそうじゃないかな?」
確かに。ぽちっとしたサムシングがあるのは分かっていた。
「まさか生後1カ月ではならないでしょう」と打ち消していた(;´Д`)
慌てて小児科へ。(産婦人科と併設)
先生も看護師さんも事務員さんもビックリ。
血液検査の結果も水ぼうそう。塗り薬と飲み薬、発熱に備えて座薬も貰った。
薬局のおっさん「座薬のコツはね、思いっきりグッと入れる事」
雨のなか、病院をはしごして疲れきってしもた。
仕事切り上げた夫が帰ってきた時には心底ほっとした。
何かしてもらうってことじゃないけど、一人ぼっちだったら凹んでたかも。
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何の疑いもなくお薬を飲んでくれて、発熱もなく1週間ほどでかさぶたになった。
でもそれまでは顔から全身にぽちぽちが出来て、とてもかわいそうだった。
どこでどう感染したか分からないけど、私自身も予防接種だけで罹患して無かったので、医者曰く「母乳からうまく免疫が伝わらなかったのかもね」。
娘から感染するんじゃないかと、冷や冷やしてた。
感染して寝込んだ場合、
夫は何日間休めるだろうか・・
Q決算終わるまではきついよな・・・
と考えてた。
ちなみに今はやりの風疹も、予防接種したのに抗体が無いことが妊婦健診で分かった。
健康体だと思ってたけど、分からんもんですな。
まぁこれで水ぼうそうの予防接種も必要無くなったし、結果オーライでしょう。
気付いたら乳児湿疹はきれいさっぱりに無くなってた。
案ずるな乳児湿疹。てことか。
パラダイス入院生活
初産婦は産んだ日から6泊7日の入院。
身体ボロボロ
寝てないし、手足のしびれはあるし、吸引で裂けて痛いし。
睡眠導入剤やら湿布薬やらキズ塗り薬やらたくさん貰い、とにかく回復に努めた。
分娩直前にゲロまみれになってしまったにも関わらず、
すぐにはシャワー許可が出なかったのが辛かった。
おしぼりが配給されて、それで身体を拭いてた。
入院中のスケジュール
午前:沐浴、授乳、調乳などの指導。
午後:新生児室へ迎えに行って同室でお世話。
夜間:そのまま同室でもOK、だけどボロボロだったので預けて別室を選択。
娘がでっかくて、沐浴指導時に左手首を痛めてしまった。
結局、1か月の沐浴はすべて実母にお願いしちゃった。
空き時間にしてた事
名前はもう決まっていたし、やることはほとんどなかった。
ラウンジにある育児本を読んだり、マッサージしたり、スマホで脱出ゲーム(SCRAP)したり。
なかなか母乳が出ない&傷口痛くて座れない!となって、Amazonで哺乳瓶や円座クッションをぽちってた。
ハタと気付く
LDR室で絶叫していたけど、そのすぐ横は新生児室。
そこで各種指導があるので、当時入院中のみなさんにも聞こえていたはず。
恥ずかしい・・・
パラダイス入院生活
自分のことだけしてればよい生活もこの入院期間だけだった。
時間が来ればホカホカの美味しいご飯がやってくる。
夜中は新生児室で看護師さんやらがミルクやってくれる。
心配ごとがあってもすぐ聞ける。
退院
夫は午前休しか取れず・・・仕方ない。
駆け足で出生届や各種申請を出してもらった。
書類一式はすべて産前にそろえていたので、スムーズに行った。
その日に京都から実母も到着し、いよいよ赤ん坊との生活スタート。
入院中に友達はできなかった。
出産レポート
2013年5月7日に第一子となる女児を出産しました。
忘れぬうちに記録。今思い出しても散々な出産でした・・
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前日
2013.5.6 12:00ごろ
予定日を5日過ぎ、「GW中には生まれんかったのぅ」と思ってたところへおしるしキタ━(゚∀゚)━!
はやる気持ちを抑えて、徒歩5分の店へ夫とインドカレー食べ納めに出かける。
冷蔵庫の食材を処分し、入院準備品の確認、そして「あまちゃん」の録画設定に励んだ。
21:00
なんとなく陣痛が来ているっぽい。「病院行くわ」と告げると
夫「いよいよだね!+(0゚・∀・) + ワクテカ +」
だったので「遊びにいくんじゃねーぞ」と思ったのを覚えている(口にも出した)
・・・この頃はまだ余裕のヨッチャンイカだった。
23:00
病院着。この時点で陣痛8分間隔。子宮口はちっとも開いてないが、予定日超過してるのでそのまま入院。
夫は翌日の打合せが何とかなりそうだったので、近所の実家に泊まり、朝にもいちど来ることとなった。
GWは出産ラッシュだったようで、あいにく病室は空いておらず、LDR室で一泊となった。
新生児室のすぐ横なので、夜中じゅう泣き声が聞こえて、陣痛も相まって、ほとんど眠れなかった。これさえなければ・・・
陣痛との戦い
2013.5.7 8:00に夫が到着。長い一日がはじまる。
この先の記憶はとびとび。
陣痛はあるが子宮口が3センチから進まない。
バルーン入れたあたりからずーっと悶絶と絶叫。
「呼吸法??知らんがなワシは痛いんじゃなんとかしろ早く産ませろ」状態。
なにせ前夜は寝てない。
ウトウト・・・→激痛→寝ぼけながら絶叫→ウトウト・・・→激痛→(略
みんなに「そんなに声出してちゃ産む時には力出ないよ」と言われたけど、
自分では「最後の最後は振り絞ればイケる、絶対イケるから今何とかしてくれ」と思っていた。
夫が腰さすってくれてたけど、なんか違くって、でも頭が回らなくて「こうしてほしい」が言えず。
あげく、夫の手をはねのけて看護師さんに蚊の鳴くような声で「すみません、さすって・・・」
「いつまで続くねん!もう寝たい!なんならもう切ってください!いや、産むのやめる!」
とまで思ってた。
が。
夜勤で入った助産師Y田さんに「あんたの何倍も赤ちゃんは息できなくて苦しんでんだよ!!」とガチで怒られ。
それを見てた夫にも「言う事聞かないとダメでしょ、やる気あるの?」と仕事モードの目で詰められ。(今思い出しても震えあがる)
18時くらいからは真面目にラマーズ法に着手・・泣きながら。ようやく。
「18:45になったら様子見にくるから、そしたら分娩台乗ろう」
とY田さんに言われ、信じて頑張ってたのに
「ごめーん、ミルクの時間だから19時に来るわ、待ってて」と告げられた時は絶望したね。
19時過ぎにやっと分娩に入るってので、夫は着替えるために外へ、中ではLDR室のベッドを変形・・・
したところで猛烈な吐き気に襲われてリバース。続いてリバース。
ほとんど食べてないので水分しか出ない。
服だけ変えてもらい、髪はゲロまみれのまま分娩突入☆
「ほんどにずみまぜんっ」を連呼。
分娩開始
陣痛の波にあわせていきむ。正直、いきむ方が楽だった。
「ほれ、あんだけ昼間暴れてても上手にやれとるやん」ぐらいは思ってた。声に出ないけど。
それでもY田さんには「目をしっかり見開け!力入れろ!」と怒鳴られてた。
先生は終始優しくて(お疲れのようにも見えた)、立会いの夫にもうまく役割振ってらした。
「髪の毛見えてきたよ、ほら!見て!励まして!」とか。
まる一日かかってるのに、赤ちゃんの心音は相変わらず超元気。
産まれた
21:46
夫が背中支えて、助産師Y田さんが上から押して、先生が吸引器でひっぱりだしてやっとこ産まれた。
嬉し泣きする夫を横に、私は
「みなざぁああん、ほんどにぃぃずみませんでしたあぁぁあ!お手数おかけしましたあぁぁ」
と詫びていた。
3712g。やっぱりガッツ石松似だった。
こやつがワシを一日中いたぶってたのか・・・
やっと会えたね!
先生・助産師さん・看護助手さんの3人で「ハッピーバースデー」と歌ってもらい、おしまい。
回復のため、夫と二人でLDR室にて1時間ほどのんびり。
3つの名前候補から絞り込み。二人とも同じ名前を挙げたのであっさり決定。
その日の夜は興奮とキズの痛みとで、なかなか眠れなかった。
立会い出産してみて
良かった。一人では精神的に無理だった。
「しんどい思いを共有できひんのはむかつく」というしょーもない動機で里帰りせずに立会いだったが・・・
トイレ1回しか行けなかったのは申し訳ないけど、ずっとついててくれて良かった。
色んなブログでは「旦那さんは肩付近に居て、下の方は見ないから大丈夫☆」とあったけど、夫は病院スタッフの指示で部屋中をうろうろしていた。
会陰切開の瞬間もばっちり見てたらしい。私は気付いてすらなかった。
処置の間、先生に勧められて胎盤もじっくり見てた。自分で見てもグロだった。
さすが、バイクで谷に落ちたり鎖骨骨折したりと数々の修羅場くぐってきた人は違うなと思った。
血やキズに耐性のある人は、立会いをお勧め。
血液検査で貧血レベルの男子は戦力外なのでおとなしく待ってるのが良いでしょう。
パラダイス入院編へ続く。